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母方の祖母は認知症であった(榊原 直樹氏)
(HCD-Net ニュースレター 2010年8月号 - Vol.50)
盆暮れにしか会うことはなかったが、元気な時には随分と面倒をみてもらった。症状が出てからは施設で過ごすようになったが、一度だけ暮れに実家で一緒に過ごす機会があった。久しぶりに会う祖母は、すっかり小さくなってしまっていた。何度か来たことがある家もすっかり忘れてしまっているようで、心配そうに辺りを見回す。そして私に向かって私の父の名前で呼び、ここはどこですかと尋ねるのであった。何度説明してもしばらくすれば忘れてしまい、また同じ質問を繰りかえし尋ねてきた。
そのとき以来、認知症の人に対して自分なりになにかできることはないだろうかと考えて続けていたが、Person centerd careについて知ったのは、それからしばらく経ってからだった。Person centered care とは、文字通り、認知症の患者を中心とした介護方法である。認知症のケアの過酷さから、とかく事務的になりがちな患者への対応を、それぞれの個性に合わせて対応することである。患者を中心にというところに、Human centered designに通じるものを感じた。
このように個性に合わせた対応への変化は、そのまま介護施設や福祉機器のデザインにも大きな影響を与えている。例えば、少し古い介護施設に回廊型と呼ばれる様式がある。これは施設の周囲にぐるっと回廊が設けられた建物で、徘徊をする人がその中をいつまでも歩き続けるのである。認知症の特性を捉えたよいアイデアのように見えるが、症状だけに注目して患者本人を見てはいない。介護機器は介護を提供する側の都合を優先して作られているのだ。本来であれば認知症の人がなぜ徘徊をするのか、その原因を考えていかなければ、根本的な問題解決にはつながらず、その人らしく生きることができる環境を作る事はできないだろう。こうした施設は徐々に減り、現在は個別のニーズに合わせたユニットケア型の施設が増えてきた。しかし現状ではまだ個別のニーズに十分に対応した介護が提供されているとは言い難い。
認知症は今後も増加を続ける。Person centered careにもHuman centereddesignにもまだまだやるべき事は多く残っている。
WebサービスとHCD(浅野 智氏)
(HCD-Net ニュースレター 2010年9月号 - Vol.51)
酷暑ともいえる今年の夏でしたが、やっと少しだけ秋の気配が漂ってきましたね。
私は、この夏の間いくつかのご縁があって数社のWebサービス企業さんと「社内にHCDプロセスを導入する」セミナーやワークショップを行いました。どの企業さんも導入には積極的で、少ないところでも集中的に3、4回、多いところでは7、8回も時間をかけてHCDプロセスを学んでいただきました。
なぜここにきて、プロダクト系ではなくWeb系の企業がHCDに取り組み出したのか。今までは以下のような業界特有の理由で、取り組みが遅れていた側面があると考えられます。
1)開発期間が短い
2)モノの生産に比べてイニシャルコストがかからない分危機感が薄い
3)業界の平均勤続年数が短く、ノウハウの蓄積が行われ難い
そこにHCD-Netの人間中心設計専門家制度が引き金になり、比較的企業規模の大きなWebサービス系企業が取り組みを始めたようである。特に大手ではこの5年間で社員数が5倍になったというところも少なくない状態で、寄り合い所帯の手法統一という意図もあるようだった。セミナーの内容としては、HCDの循環プロセス毎のデザイン手法を講義とワークショップで体験的に学ぶものである。「観察」「インタビュー」「ペルソナ/シナリオ法」「ペーパープロトタイピング」「ユーザビリティテスト」などが主なカリキュラムで、ほぼそれらを各4~5時間で学んでいただいた。
その中で面白いことが分ったのは、アンケートでどの手法に興味があり実際の業務に役に立つと思うかと聞いたところ。圧倒的に「ユーザビリティテスト」との答えであった。次に人気があったのは、事前には「業務に直接役に立たなさそう」と評判の悪かった「ペーパープロトタイピング」である。これは「プロトタイプ」としての認識しかなかったものが「発話思考法」と組み合わせることで簡易な評価手法として使えたことが良かった理由であろう。意外だったのは「ユーザー調査」「ペルソナ/シナリオ法」は敷居が高いと人気が無かったことである。やはり初学者には1、2回のワークショップでは理解が進まないのであろうか。
この結果を見るとHCDを企業に導入するには、表面的には「ペルソナ/シナリオ法」を学びたがるWeb制作者は多いが、実際にやってみると「ユーザビリティテスト」「ペーパープロトタイピング」あたりから入るのが容易だと印象を持った。また次回の人間中心設計専門家の認定にチャレンジしたいという声も多く聞き、Web業界にもHCDが浸透してくる予兆を強く感じた夏であった。
インフラデザインのHCD(尾上 晏義氏)
(HCD-Net ニュースレター 2010年10月号 - Vol.52)
最近、私の職場のオフィスビルのリニューアルが行なわれました。その際トイ レ空間も大幅に改善され、機器設備も最新のものとなり、マッサージ・パワー脱 臭・さわやかムーブ・・・・・など新しい機能が増え以前に比べて格段に快適に なりました(まだ使っていない機能がいろいろあるが)。そしてデザインの良い操 作パネルがつきました。しかし便座に腰掛けた位置からはパルネの上端面にある 流水ボタンが上向きのレバーのため死角で見つからずしばらくわからず操作に不便をしました。その時 ふと数年前のことを思い出しました。友人のオフィスで当時最新のトイレ機器が設置されていましたが、水を流すだんになりレバーみつからず10分間 位出るに 出られず閉ざされた空間で右往左往で冷や汗を流した経験を思い出しました。最近はトイレもコンピュータ化されいろいろな操作が増え、特に肝心の 流水レバーの操作がまちまちでわかりづらい。以前からある大型のレバー式、 手をかざすセンサー式(これも数種類ある)、ピアノキー式、押しボタン式、靴べらのようなレバー式、フットスイッチ式などいろいろな形状、作法があります。 その他にも多くの機能のスイッチ類もあり、例えば間違って「緊急呼び出し」の ボタンを押さないようにいつも注意をはらわなくてはなりません。
このように、かつてのそっけない空間から明るく快適な空間になりましたが、 利用場面ではオフィス、駅、公共施設、ホテル、交通機関、などさまざまです。 利用する場所で操作作法がそれぞれ異なっているのはこまります。それぞれの製 品の担当デザイナー、メーカーが一生懸命工夫して特長のあるUIをデザインす ればするほど多くの作法が生まれ利用者から見れば一貫性がなくあちこちで戸惑 いが発生するという矛盾が起きてしまっています。
トイレに限らずインフラシ ステムとしてのHCDについては産業面から考えても何かもっと別の考え方、い ままでと違った取り組み方法が必要ではないでしょうか、このあたりHCD ネットが力を発揮できれば活躍の場が広がらないか。新たな視点から世の中に対 して有意義な発進、取り組みができると考えますがいかがでしょうか。
秋はお祭りの季節(小島 健嗣氏)
(HCD-Net ニュースレター 2010年11月号 - Vol.53)
鎮守様の祭礼や大学祭、そしてデザイン関係のイベントも目白押しでした。日本人は八百万に神が宿っているとし、自然との共生や共同体としての日常を大切にしてきました。五穀豊穣を祝いその労をねぎらう、それを芸事の 祝いにして芸術の秋と結びつけてきたのでしょうか。この時期にはすぐ後ろに迫る冬を感じ、わずかな時間の美しさと来るべき不毛の期間を対峙して、心の準備をするがごとく紅葉を愛でます。そして樹木は葉っぱに栄養をたっぷり含んで色づかせた後に、根からだけ栄養を摂るために自分の回りに散り敷きます。今年も もう冬がすぐそこでまで来てしまいました。これらの現象は、太陽光が弱くなる冬に備え新陳代謝を少なくして過ごす、生きていくための効率です。
西洋では万物を創造したのは人のカタチをした神であり、人間が全てをコントロールすることの法則を見出す科学や哲学が近代化を進めました。冬至がその神の誕生を 祝う時期であることも関係があるような気がします。そういう考え方から生まれたHumaneCenterdとその訳である人間中心は、生活の豊かさのためのデザインとしても、相対することで見えてくることがあるような気がします。物事や人の振る舞の観察から本質を見出し表現することは、創造的破壊というイノベーションと、調和しようとする安定志向、不確実なことへの担保を求める国民性とを相容れるための葛藤かもしれません。
一方で、相手の言葉にならない思いをいかに汲み取るかという機微に長けた感性は優れた特徴でもあります。
これからの季節のうつろいや師走から正月への歳を眺めながら、日本人の考える人間中心のデザイン思考とは、という視点でリフレーミングしてみると、また面白い気づきがたくさんあって、知的好奇心を満たしてくれるような気がします。
長く愛される人工物(山崎 和彦氏)
(HCD-Net ニュースレター 2010年12月号 - Vol.54)
4年前から大学に来て、自分の研究室というの持てるようになった時に、僕が最初にはじめたのは、自分の家にあった、僕が愛する人工物を研究室に持ってきて、さらにeBayやYahooのオークションによって、長く愛されきた人工物を集めることだった。この人工物の多くは、本とプロダクトだった。この長く愛されるプロダクトデザインを眺めたり、使ってみると、その素晴らしさがだんだん分ってくる。ちょうど本を読んだり、映画を見たりするようにに、人間と人工物との関連が時間軸で変化してくる。
短時間での変化を見ると、人間とモノとの距離、使う前と使いはじめなど、本の表紙と中身、映画の予告と本篇のような変化がある。その変化を考慮してデザインするという行為は、本や映画の世界では、当たり前のように行われきた。
どのように変化させたら、興味をもつのか、楽しいか、分りやすいかを考えることは、時間軸が明確な人工物では当たり前のことだった。長時間で見ると、家具や建築のように何十年という間、人間と付き合って、人間との関わりが変化する。それは、人間側が変化する場合もあれば、人工物や社会環境が変化する場合もある。これは、いまどきの言葉でいえばユーザーエクスペリエンスということになるのだろうか。こんなことを、研究室で考えていることが多い。