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ショートコラム Vol.55-66
モノへの執着心と捨てる根拠(黒須 正明氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年1月号 - Vol.55)
僕はモノへの執着心が強い。子どもの頃は切手や絵はがきを集めていた。いわゆる収集癖なんだけど、その当時はまだ「度を越して」はいなかった。切手やマッチの箱については祖父もコレクションをしていた。ただ、ちょっと度を越しているかな、と思うようになったのは、モノを捨てられない自分に気がついたあたりのことだ。大学生の頃から本や資料などは「いつか使うかも」と思って保存しておくようになったし、タバコなんかは吸いもしないものを外国に旅行するたびに買うようになった。LPレコードも1000枚くらい集めたし、30代になった頃には、今度はCDになった。また海外にゆくたびに免税店でトワレを集めるようになった。DVDが出るようになってから、それも収集の対象となった。話題になったものだけでなく、レアなものにも興味があり、聴ききれないほどのCDと見きれないほどのDVDが集まった。それ以外でも、シルクスクリーンなどの版画を集めたり、骨董品を集めたり、仏像を集めたりした。金のかからないところでは、包丁や箸なんかも収集の対象となった。小型の電子デバイスも見つけるたびに買い集めた。そんなわけで、利用しきれないほどのものを集めてしまう結果となった。
よく言えば、そうした人工物の間の差異に興味を持つようになって、それがモノの使いやすさへの関心を目覚めさせ、人工物発達学のベースになったともいえる。しかし悪く言えば、ゴミ屋敷の主とあまり変わりのない性癖でもある。家は中古の別荘も入れると三軒もっているが、それまた家を持つことへの執着の結果といえる。マンションと戸建ての違いを知るためともいえるが、単に我欲が強いだけといった方が正しい。そう、これは自我領域の拡大欲求が異常に増大してしまった結果なのだ。
いま、自宅の一軒は美術品収納庫と化し、一軒はその他のものの倉庫と化し、残りの一軒で生活をしている。 ただ、60才を超えたあたりから、その欲求に多少ブレーキがかかるようになってきた。余命を考えて、さて、利用できないものを持っていて、どんな意味があるのだろうと考えるようになったからだ。使わないモノを捨てるようになったのもその頃からだ。ようやくにして、という感じだ。捨てる技術という本があるけれど、捨てるのに技術はいらないと思う。ただ決断あるのみだと思っている。そして、捨てようと決断したものについて、それが何故廃棄されるのか、廃棄されるのを妥当とするのはどのような根拠によるのだろうか、などと考える。要するにユーザエクスペリエンスの最終段階を、自分なりに考える機会として利用している。まあ、何でも研究とからめて考えようとするのは、良いことかもしれないが、そのための代価は大きかったなあと嘆息するばかりだ。
食品の容器というインタフェース(伊東 昌子氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年2月号 - Vol.56)
食品の製造に関しては,言うまでもなく、食品の品質が製造者の中心的関心事である.しかし、食品それ自体と人間の間には容器というインタフェース領域があり、それが食品選びや購買意欲に看過できない影響を与えることが少なくない.私が最近感動した容器は蜂蜜の容器である。
以前から蜂蜜は朝のトーストあるいはヨーグルトのお供や料理の調味料として使っていたが、どういう容器のものでも、容器から蜂蜜をとりだすときのスプーンがどういう形状であろうとも、どうしてもべとつく。容器もべとべと,スプーンもべとべと、お皿もべとべと。私はあのべとつき感がとても嫌で、最近では蜂蜜を使わなくなってしまっていた。蜂蜜の美味しさよりもべとつく感触を避けることが優位に立っていた。 ところが「なんと言うことでしょう」という容器を発見した。輸入物で蜂蜜の種類が複数あり味はおいしい。それよりも、その容器は大変に優れている。全体は柔らかなプラスチックであり、入口は容器を押すとほんの少し開き、比較的細い筋になって蜂蜜を思いのままに注ぐことができる.容器を押す手を緩めると挿入口がピッと閉まり液漏れは一滴もない。もちろん中身が少なくなると逆様に立つ.容器の形は崩れない。本当に素晴らしい!容器栄誉賞を差し上げたい気分である。
あまりに感動したので、その製造会社の蜂蜜をいろいろと購入し、容器が素晴らしいと力説してかなり配った。いろいろ探したが,あれほど使い勝手の良い容器はいまだ見当たらない。もちろん購入しつづけている。人間中心設計が重視する利用品質が関連する領域は広い。私の人間中心設計のコンサルティングは食品の味から始まった.今後も幅広く利用品質に対して興味を持ち続けたい。
サービスイノベーションとHCD(近藤 朗氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年3月号 - Vol.57)
2004年末に公表された「イノベートアメリカ」では、米国の次世代の競争力について「過去25年,効率向上を最も重視してきた。しかし今後の25年間は イノベーションを生み出すために社会を最適化する必要がある」とされ、一躍「イノベーション」というワードが注目されました。このイノベーション、日本では技術革新として認識される事が一般的ですが、イノベーションを研究してきた経済学者のシュンペータは、「新結合」がイノベーションの本質だとしています。 今の私たちの社会では、「もの」から「こと」に価値の主体が移りつつあると言われ、イノベーションを起こす対象も製品ではなくサービスに関心が集 まっています。そのため「サービスイノベーション」について、官公庁や研究団体でさまざな活動が行われるようになってきました。
この「サービス」ですが、従来の工業製品のように常に同じ機能を提供するのではなく、サービスの提供者とサービスの利用者の相互作用によって価値が産まれます。従来は人間対人間の サービス産業が中心で、そのためのサービスマーケティングやサービスマネジメントなどの学問が発展してきました。ネット社会の今では、サービスの「場」もPCなどの端末上で提供されたり、顧客の好みなどをデータベースで管理できるようなりましたが、価値を産み出す顧客満足は、それぞれの「人」を知らなけれ ば実現できないと考えます。
人間中心設計の手法では、ユーザーの要求を調べる手法、それを明示する手法、新しいサービスを評価する手法などサービスイノ ベーションをデザインする方法について、たくさんの可能性があると感じています。この分野で、たくさんに研究者が活動を始めていますが、みなさまも HCD-Netの活動を通じて新しいサービスのデザインについて考えてみませんか。
震災報道から感じたこと(高本 康明氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年4月号 - Vol.58)
つつじが咲き鯉のぼりが泳いでいる。震災からひと月半経ち、こののどかで何げない光景がとても貴重なものに思える。地震直後、防災システムが全く機能しなかったという報道を耳にした。津波を知らせるサイレンが停電のため鳴らず、消防団員が手作業で半鐘を乱打し住民に緊急事態を知らせたということだ。せっかくの防災システムが、肝心な時に役に立たなかったという事態は、公共インフラのシステム開発に従事している者にとって、
とてもショッキングだった。防災システムは、緊急警報を素早く確実に住民に伝えるために、検討に検討を重ね設計されたはずだ。しかし、停電によりシステム自体が動作しないということは、全くの想定外であったのだろう。システムが使いにくいというユーザの声を聴くことはしばしばあるが、それはシステムが想定外の環境や運用で利用されている場合が多い。
HCDの概念では、ユーザ、作業活動、機器、環境という四つの要素を設計に取り込むことがポイントである。とりわけ様々な環境を想定し検討することが、重要であることを再認識した。震災は、HCDの視点で考えさせられることがたくさんあった。この経験を今後のHCD活動に活かしたいと思う。
暗闇展覧会(岡本 誠氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年5月号 - Vol.59)
真っ暗闇で展覧会を行った。たった1日だけで、来場者はせいぜい100人くらい。しかし、何人かの来場者は、
涙を流しながら見てくれた。この展覧会は、授業成果を発表するためのもので、「暗闇展覧会」と名付けた。授業は、インクルーシブデザインの考え方を理解することが目的で、視覚障がい者のためのコミュニケーションツールを提案した。殆どの学生は、視覚障がい者の生活世界を知らない。ただ自分たちは「健常者」であり障がい者を支援する立場だと漠然と了解している。視覚障がいの人たちの生活を知ることから授業はスタートした。
最初にインタビューをした。その後様々な体験を供にした。目隠しをして視覚障がい者と一緒にランチをし、
街歩きやゲームを楽しんだ。「健常者」であるはずの学生達は、視覚障がい者を教師とし沢山の支援を受けていたことに気づく。歩き方、音の聞き方、水をこぼれないように注ぐ方法、足の裏で路面を探る方法などなど。そして、彼らの普段の生活や工夫、更に困っていることを自然に聞くことができた。普段は、アイデアを出すのに四苦八苦する学生が、この特ばかりはどんどんアイデアを出してくる。時間は少ないのに、凝ったプロトタイプを作りはじめる。仮想のペルソナではなく、実感のある人物像が得られたに違いない。ここまで暗闇(利用者の環境)にこだわったので、最後の発表会も、暗闇にした。展覧会場は、見せるべき場なのに光がない。光があると学生はつい目に頼った説明をしてしまう。触れるプロトタイプを差し出し、使い方のシナリオを来場者に語った。展覧会には、10人くらいの視覚障がい者が訪れた。その内の何人かは、学生の説明を受けているうちに涙を流した。今までも様々な障がい者用機器に触れる機会があった。しかし、どれも自分たちの気持ちや生活からは遠いものだった。学生達のデザインしたものは、荒削りだけども気持ちをくんでくれている、というのが涙の理由らしい。学生達にも視覚障がい者にとっても面白い参加型のデザインの場をつくれたと思う。
東日本大震災復興支援の活動~Hack For Japan~(石野 正剛氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年6月号 - Vol.60)
今日は私が運営を手伝っている、Hack For Japanという東日本大震災復興支援の活動について紹介します。これはITの力によって復興を支援しようという活動をサポートするためのコミュニティです。復興に自分の力を尽くしたいという志のある人たちが集い、議論を重ね、仲間を見つけて開発をしてゆくことを助ける仕組があります。これまでに数百のプロジェクトが立案され、そのうちの数十には開発メンバーが集まって形になりました。
成果が出ているプロジェクトには、ボランティアのニーズを管理するシステム、放射線情報を地図上に表示するスマートフォン向けアプリケーションなどがあります。Hack For Japanでは主な活動の一つとしてミーティングを開催しています。被災地にも会場を設定し、現地の人との交流を通じて、生の声を聞くようにもしています。実際に被災地を視察して、改善できるところを見つけ、技術によって実現するという活動が必要とされているのです。このような活動はHCD-Netのみなさんこそが、最も得意としていることだと思われます。
もし、あなたの手によって復興の支援をしようと思われているなら、Hack For Japanの活動に参加されてはいかがでしょうか。
ナデシコジャパンの優勝(平沢 尚毅氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年7月号 - Vol.61)
何と言っても、今、日本のホットな話題と言えば、ナデシコジャパンの優勝である。サッカーが好きな人間にとっては、生きている間に、日本のW杯の優勝シーンを見られるのは本当に幸せなことである。私は、このような結果は、究極的な人間中心設計の成果と考えている。設計対象をナデシコのチームと考えれば、チーム戦略とメンバー構成、メンバーのスキル、試合の戦術等々は、個々のメンバーの個性を深く知り、試合の様々な局面のシナリオを想定しながら、その個性を最大に生かす戦術案を繰り返して練ってきたことは間違いない。
さらに、想定した案を、紅白試合や親善試合によってテストし、改善し、さらに、実際の試合を通じて改善してゆく。これらの熟練されたプラクティスは、人間中心アプローチ以外の何ものでもない。そして、結果として、感動を与えた試合であれば、利用品質が高い場を創出したことになる。今回は、私たちは、極めて利用品質の高い試合を拝見することができたわけである。
人間中心設計は、組織、業務、戦略、そして行政も設計対象となる。そう考えると、日本の人間中心設計は、まだまだ始まったばかりであると言えるし、同時に、今回の女子サッカーの快挙から考えると、多くの暗黙知が埋蔵されているとも考えられる。だからこそ、今後の日本の人間中心設計はおもしろいのである。
人間中心設計の必要性の特定(水本 徹氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年8月号 - Vol.62)
いわずと知れたISO13407のぐるぐる回るプロセスの入り口に書かれている言葉である。ぐるぐると回ってしまえば話は早いのだが、企業でHCDを導入するにあたって一番難しいのは、この入り口から中に入ることである。「自分たちがユーザーをリードしていくのだ」「また、いつものCS活動?」「すでにお客様のことを考えてやっているよ」「で、どんな効果があるの?」「ユーザビリティで売れるの?」「工数が増えるのではないか?」
こういった声を覆すだけのHCD導入効果が説明できないのだ。世界的なブランド戦略会社であるインターブランド社は、自身で指標を作って世界のブランド企業の価値をランク付けし「インターブランド・ベスト・グローバル・ブランド・リスト」として発表している。HCDの効果と同じように、ブランド戦略の効果という定量化しにくいものについて、だったら自分たちで測ってしまおう!という考えなのかもしれない。ついには、NY証券取引所で、このリストと株価の変動に相関があると話題になったそうだ。リストの信憑性があがればあがるほど、インターブランド社によるブランド戦略の価値が向上していく。同様、HCDを普及していくためには、「HCDの効果を定量的に測定する指標」を作っていく必要があるのではないか。
節電のモチベーションとUX(田附 克巳氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年9月号 - Vol.63)
3.11東日本大震災以降、節電指向が強まっているようですが、数十年前の石油ショックの時をはじめ、日本人は伝統的に節約に強いという話を聞いたことがあります。無駄な照明は消す、燃費の悪い古い電化製品は買い替えるなどして、乾いた雑巾を絞るように節電に努める姿は涙ぐましいと言えるほどです。 節電、資源の節約自体は至極まっとうなことで、非難されることではありません。
しかしながら、苦難を耐え忍ぶことだけでは長期にわたって節約を続けていくことはできません。使いたいのに我慢して節約するのでなく、発想を転換し、あまりにも大量の化石燃料を使うことや、そこから生まれる電気に頼るライフスタイルを格好悪いものとして退けていくことが、現在の日本では有効なことではないでしょうか。
このような流れは密かにすでに始まっていて、モノを所有することを嫌う若者の増加や、会社や組織での自己実現を重くみない風潮などにその片鱗が見えています。彼らの考えが世の中の主流になるのはまだ時間がかかりそうですが、重要な変化のあらわれです。こんな潮流もライフスタイルという広義のユーザエクスペリエンス(UX)のひとつではないかと考えています。
近年の勉強会ブームについて(飯尾 淳氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年10月号 - Vol.64)
IT業界ではここ数年、勉強会が流行しています。勉強会ブームなのはよいことですが、若手技術者には、勉強会からさらに一歩踏み込んで研究会にリーチする層が出てくることを期待しています。ここでいう研究会とは、学会で開催されている研究会のことです。勉強会で学んだことを取っ掛かりとして、さらに自分のアイデアで新規性を追加して研究会で発表する。そんな流れがうまくできるといい。一方の学会側も憂き世離れした研究会で満足しているのではなく、社会に役立つ活動の基礎を固めるチャンスでもあります。
この春、情報処理学会の学会誌で勉強会特集をやったのはひとつ面白い試みでした。なお勉強会に参加したといっても、人的ネットワーク構築と称して名刺を集めただけで満足してしまうのは論外です。その面でも、独創性を発揮して「業界の人的ネットワークにおいて○○ここにあり」とアピールすることで、自らを他人に認めさせることが重要ですね。さてここでいきなりHCDの話。例えばUXを考えてみましょう。歴史はそこそこあるとはいえ、まだそれほど手垢がついていない分野でもあり、独自性を発揮しやすい領域なので、チャレンジのし甲斐がありそうです。またHCD専門家も希少性という意味では今のところピカイチかも。日本人には奥ゆかしさを是とする傾向がありますが、このグローバル時代に悠長なことを言っていたら競争に取り残されてしまうでしょう。
シリコンバレーでUXデザイナーはひっぱりだこ?(松永 充弘氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年11月号 - Vol.65)
はじめまして。私は1年半前から、NTTデータの米国シリコンバレーにある子会社のNTT DATA AgileNetにて勤務しております。ここシリコンバレーは様々なハイテク・IT企業がが数多くひしめきあっています。アメリカでは失業率が約9%台と雇用問題が深刻ですが、シリコンバレーだけ見ると、失業率が3%台と、どの企業も人手が足りない様相です。 UXの分野についても、特にどの企業も人材が足りないと話を聞きます。シリコンバレーの動きとして、ソーシャル、スマートフォンを対象としたサービスが依然、どんどん出てきています。サービス形態がコンシューマ向けであり、かつ、ライバル企業が非常に多いことから、サービスをいかに早く市場に出し、ユーザからのフィードバックを短期間にいかに早く取り込めるかがサービス成功の鍵をにぎっています。顧客へ提供できる経験や価値を素早く把握し、それをサービスとして具現化できる人、すなわちUXデザイナの重要性が高い分野だと言えます。 ただ、各企業の求人情報を見ると、UXや人間中心設計のスキルセットだけでなく、スマートフォンアプリやリッチクライアントシステムの開発スキルまで必要など、複数の要素を求められているなど、その要求水準が高いことも多々あります。 上記のスキルや経験を持った方は、一度シリコンバレーの求人情報を眺めてみてはいかがでしょうか。
早い時期からのHCD教育が必要(乾 明男氏)
(HCD-Net ニュースレター 2011年12月号 - Vol.66)
昨今のスマートフォンブームのおかげで、今年に入ってから私のところへアプリ開発の案件が舞い込んでくるようになりました。また、たまたまかもしれませんが、見た目を重視し、使い勝手は二の次となっているものが多く、目的を達するまでの手順が煩雑になってしまっている案件が多く感じました。
そんな中で、HCDに携わってきた経験を活かしてなんとか改善をしようと試みて来ましたが、アプリは有料でもせいぜい数百円という単価のため、予算は非常に少なく、ユーザテストなど当然望めません。そのため、クライアントを説得するためのデータをそろえることができずに苦慮しておりました。そんな中で一定の効果が有ったと感じるのは「シナリオ法」です。想定される使用シナリオと実際のUIとの違いを明確に示すことで納得してもらえるケースが多々ありました。ただ、過去にヒット作を出すなど、経験値が高い相手ほど説得に苦労したと感じています。一方、私は専門学校でも教壇に立っており、内容はプログラミングの授業ではありますが、その中で可能な限り、ユーザビリティに関する話を織り込むように心掛けております。そうしたところ、制作演習など、生徒たちが自分で仕様を考えて制作を進める授業においてユーザを考えて、UIを設計していくという傾向が見えてきました。
このように、白紙の状態の若い世代はすぐに吸収していくことを考えると、早い時期からのHCDの教育の必要性をあらためて実感しているところです。