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人工物というのは当初のコンセプトのまま直線的に発達するものではなく、多数の人々の知恵が注入されることによって新たな展開を見せるものです。そこが面白いし、ユーザビリティの観点からするとコンセプトの明確化という意味で難しい点でもあります。
さて、今回はマニュアルの話。はい、上の話は前振りでした(^_^;)。
マニュアルが問題にされるようになったのは情報機器やマイコン内蔵機器が普及するようになってからのことでした。コンピュータというのはソフトウェアによってその使い方が決定されます。ソフトウェア次第でいろいろなことができるようになります。使いやすさの面でいえば、ハードウェアの作り具合も関係していますが、ソフトウェアの作り具合によってわかりやすくもわかりにくくもなる。ましてや当時はマイクロコンピュータの黎明期。新しい概念が一般利用者の世界に乱入してきたため、多くのひとたちが困惑を覚え、混乱していました。
ビデオの操作が問題になったのは当時のことでした。予約録画なる便利な機能がついていて、留守にしていても機械がちゃんと番組を録画してくれる。そんなわけでビデオを購入する家庭がたくさんありました。しかし皆さん、そこで躓いてしまう。えーっと、これをこうやって、こうやって、あテープを入れておいて、それでこうやって、ん、電源を切って、か、で、んー、これでいいのかなあ。という調子。それで帰宅してみると番組は録画されていない(^_^;)。リモコンもついていたし、それを使って録画の予約もできました。機械のところまで行かずに操作できるのは便利だということで、リモコンにどんどん機能が搭載されました。でも、えー、これでこうやって・・・で、いいのかな。あ、送信ってのをやらなきゃいけないんだ。という調子で、リモコンを使った操作もかなり難しいものでした。認知心理学やインタフェース関連の研究会などで、ビデオ操作やリモコン操作がとりあげられることになったのは、当然の結果といえました。
いや、こうした状況は家庭だけの問題ではありませんでした。オフィスでもそうでした。当時はまだ大型コンピュータがのさばっていた時代ですが、その使い勝手は最悪でした。
僕は研究所で働いていましたが、TSS端末が導入される前のカードやテープの時代は、ちょっとしたプログラムの修正も大仕事になりました。TSS端末が導入されてもわかりにくいという点では相変わらずでした。大型コンピュータのマニュアルというA4サイズの書籍がどっと提供されていましたが、僕のような一般ユーザにはとても難しい。当時のマニュアルというのは設計者の備忘録のようなもので、設計書をそのまま印刷したのではないかと思われるほどでした。もう専門用語がずらずらとでてくるし、その説明は無い。いきなり難しい概念がでてきて、それでずーっと押し通されてしまう。JCL (Job Control Language)という制御用の言語など、おまじないのようなもので、とても自分でプログラミングはできませんでした。というか大抵はパラメータの入れ替え程度で済んでいたのですが、自分で何をやっているのか分かっていない。まあ、そうした状況のおかげでユーザインタフェースの重要さに開眼させてもらい、それがユーザ工学へと導いてくれたのですから、何が幸いするか分かりませんが。
当時はオフコン(office computer)の時代でもありました。オフィスに導入され、経理処理などの業務用の目的に使われていました。ところが、それが使いにくいということで問題になりました。せっかく大金を投資したのにお飾りにしかなっていないようなケースが続発しました。日経コンピュータで使えないコンピュータといったような連載が開始されたのも当時のことだったと思います。
日本ではパソコンの導入より先に専用ワープロが盛んになったのですが、これがまた難物。キーボードへの抵抗感が相当根強くあったこともありますが、当初は清書マシンとして位置づけられ、部長は秘書に手書き原稿を渡して、秘書がそれをワープロに入力する、そんな使い方が多く見受けられました。もちろん、時間の経過とともに、多くの人々が使うようにはなりましたが、それでも機能が多すぎるし、やりたいことをやるにはどうしたらいいか分からない、そんな状況がしばらく続きました。
こうした状況で人々が注目したのがマニュアルや取扱説明書でした。コンピュータが使いにくい。それはマニュアルや取扱説明書がわかりにくいからだ。もっとわかりやすいマニュアルを、もっと使いやすいマニュアルをつくれば問題は解決されるだろう。こうなりました。Normanが有名な図(すみませんこの文章、メールなんで図がつきません)によって、設計者のイメージをユーザのイメージに的確に移しこむための媒介物としてシステムイメージ、つまりマニュアルなどの付属物の重要性を強調したのも、そういう側面の重要性を関係者に認識させるのに役立ちました。
当初はずいぶん誤解もありました。ビジュアル化すればわかりやすくなるはずだということでイラストを多用したけれど、構成そのものがちゃんとできていないので全く分かりにくいものになってしまうことがありました。文字を大きく、書体を丸ゴシックにして親しみやすくという配慮もなされましたが、親しみやすさとわかりやすさは別のものでした。
こういう状況のもと、TC協会(テクニカルコミュニケータ協会)が設立されました。そして認知心理学やグラフィックデザインなど関連する分野の専門家を集めて、利用しやすいマニュアルや取扱説明書のあり方を研究するようになりました。製造業の中にもマニュアル部門ができ、専門家の育成が図られるようになりました。マニュアルを複数構成にして、基本概念や基本操作を覚えさせる導入編と、機能の説明を中心にした機能編、文字コード表などをまとめた付録編にするといった分冊形式にするやり方が考案されました。下敷きのようなものにポイントを書いておき、いつでもすぐに利用できるような工夫もなされました。機能の説明をベースにするのではなく、ユーザのやりたいことをベースにしてマニュアルを構成する、という方法も考えだされました。こうした様々な工夫によってマニュアルの品質は徐々に向上していきました。
TC協会も、製造業のマニュアル部門も、現在、継続的に活動しています。最近ではCDROMやインターネットを使った電子マニュアルやオンラインガイダンス、オンラインヘルプなども視野に入れて活動をしています。
ただ、それで問題は完全には解決しませんでした。なぜか。ユーザはマニュアルを読まないからです(^_^;)。面倒くさいからでしょう、いきなり機器を操作しはじめてしまう人が続出しました。マニュアルというのはあくまでも補助的なものだ、こう認識されるようになったのです。もちろん全く読まない人は少数です。多くの人はざっとは読みます。技術系の人の場合には、けっこうきちんとマニュアルを読み、それから操作を開始することが多かったようですが、一般の人の場合にはどうしても「使いたい」という気持ちが先走ってしまう。まあやむを得ない傾向でしょう。人間なんだから。
そこで問題の所在があらためて検討されました。結論はすぐに見えました。ようするにマニュアルをわかりやすく使いやすくする動きと並行して、機器やシステムそのものをわかりやすく使いやすくしなければいけないのだ、ということです。現在のユーザビリティ活動ではマニュアルのユーザビリティを扱うこともありますが、圧倒的多数は機器やシステムそのもののユーザビリティを扱っています。
こうした歴史的経緯を経て、マニュアルだけに使いにくさの責めを負わせる風潮は影を潜めました。本体のユーザビリティ、この場合は使いやすさといった方がいいでしょうが、その重要性が認識されるようになり、ユーザビリティの重要性が徐々に認識されるようになったわけです。
(第11回・おわり)