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結論であるが、「Human Centered Design」でユーザーが助かったのではなく、実はデザイナーが助かったのではないかと思う。
工業デザイン科を卒業して、この道約30年。振り返ってみると・・・
学生時代は人間工学の授業があり、一応受講した記憶がある。そして就職して数年経った頃、各社のデザイン部門で「ユーザフレンドリー」などのプロジェクトが生まれ、ユーザビリティが盛り上がり、ISO13407が施行されるころには定着した感がある。
その後、ユーザビリティを皮切りに、アクセシビリティやユニバーサルデザインが生まれ、最近ではユーザエクスペリエンスやオープンイノベーションなど、怒涛のごとく風呂敷は広がっている。
デジタル化でメカがブラックボックス化、ポストモダンも失速し、失いかけた造形の拠り所やコンセプトを人に求めた、このコンセプトが「Human Centered Design」であり、さらにユーザーの幅を広げた「ユニバーサルデザイン(UD)」に移行したのだと思われる。
ユーザビリティやUDは、誰しも納得できる普遍的なコンセプトで異を唱える隙がなく、デザイナーは随分助かったと思う。しかしそれ故、どんな製品にも必須な基本事項に昇華されてしまった。
ユーザーの幅を広げ切った先の、ユーザーも気付いていない要求まで見つけてしまう「ユーザエクスペリエンス」に至っては、お客様第一主義のある種強迫観念にも満ちた顧客志向となっていったように感じる。
そして最近、企業だけでなく多種多様な立場の人々が集まりオープンに議論し、よりよいものを生んでいこうという「オープンイノベーション」の考え方はとても崇高である。フューチャーセンターに顧客を招き、ワークショップを行い、新しいサービスなどが生まれ、実証実験が花盛りである。
しかし、本当にワークショップを行わなければ、デザイナーはそれらのサービスを思いつかないのであろうか?どうもそうは思えない。ワークショップによるモノづくり体験を通して顧客自ら問題解決に関わることで、作り手の立場に踏み込むことになり、アイディアに対する責任が生じる。要するに、よい意味での共犯関係を結ぶことになる。
そんな最近の流れを見るにつれ、「Human Centered Design」の本当の意味がわかってきた気がする。30年で随分穿った見方をする癖がついてしまったが、社内の説得に役立つこともある。