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ユーザインターフェース(UI)やデザインのプレゼンで「直感的に使いやすく…」という表現を聞くことがある。残念ながらこの言葉が使われる場で使いやすいシステムにお目にかかることはあまりない。なぜなのかを考えてみた。
直感とはその人の過去の経験や知識が瞬時に導き出す意思決定を指す。冒頭では乱暴な言い方をしたが、人が生き延びるために発達したすばらしい能力である。いわゆる虫の知らせにより、何か怪しい感じの人や場所を避けることで危険を回避できる。しかし、対象がUIだと話がややこしくなってくる。
直感が経験や知識から導き出されるものだとすれば、UIに対する直感とはなんだろう。ユーザーが使ったことがあるソフトウェアやウェブサイトはそのひとつといえる。Microsoft Office 2003を使い慣れたユーザーのうち、より合理的とされたOffice 2007の「リボンUI」の登場に嫌悪感を示した人は少なくなかった。1500のコマンドと31本のツールバーで構成されたメニューに長い間訓練された直感が勝ったのである。今は洗練されたデザインとして主流の「フラットデザイン」も、ユーザーによっては直感に反するといえる。コンピューターが世の中に普及し始めた時代は、ボタンや紙など現実世界の人工物をUIの中に立体的に再現することで触れる物を示していた。時が過ぎ、インターネット世代にとってブラウザーの中のボタンやタイトル画像は光っていたり立体的である必要はなく、むしろ過剰でダサく見えるのである。
人間中心設計専門家の価値は、「直感」と「使いやすさ」の内訳を説明できることだと私は考える。対象ユーザーが一瞬で使いやすいと判断する要素は何か。実は不便さを矯正した結果ではないか。定量・定性データをもとにユーザーが慣れ親しんだデバイスやアプリ、また彼らがやりたいことを可視化し共有することで、直感という言葉のブラックボックス化を防いでいきたい。