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「分かる」とはどういうことでしょうか?それは、何かの事象について「分からない」状態から何かが「分かる」という状態になることです。つまり、「分からない」という課題を抱き、それが解消され「分かる」という境地に達することです。ゆえに、「分かる」ことで悦びや満足を得ることができます。
私たちのHCDの業務のひとつに、「ユーザー要求」の抽出や定義があります。これは文字通りユーザーが「○○したい」という要求を見つけ、記述をします。それを導出するには、ユーザーの行動観察やインタビューなどから、ユーザーの抱える本質的な課題を見つける活動をします。
例えば、高速道路で追従型クルーズコントロール(ACC)を使うとき、車間距離を通常の値(例えば、「中」)から、変更して走行することがあります。その意図を探って、ユーザー要求を明らかにするとします。分かりやすい結果は、渋滞時に「短」に変更するのは割込防止のためです。しかし、通常走行時でも変更するケースもあり、走行動画や運転行動、発話をもとに分析をします。
分析をしていると「なぜこの状況で?」「発話内容でははっきりせず、意図が分からない」と、どう解釈すればいいか分からないことが時々あります。そういうときは、気持ちがモヤモヤします。時には滅入ることもあります。それでも状況や心境を分析し、整合性のある解釈をして、ユーザーの要求を明確にしていきます。
さて、この活動過程は、HCD従事者にとって本質的に楽しいことでしょうか?人によって様々な意見はあるかと思いますが、私は「楽しいこと」だと思います。表面的には「ツラい」などの負の感情を持ちますが、深層的には「なんでだろう」といった好奇心や、「何とか見つけだそう」といった探求心から、整理作業を試行錯誤して良さそうな方向性を見出そうとします。そこで糸口が見つかると嬉しさを感じ、それで考えが転がり出して、その先のユーザー要求の発見へとつながっていきます。だから、「楽しい」のではないかと思っています。
「分からない」ということが分かり、それを「明らかにしたい」という好奇心や探究心が原動力となって、「分かる」ために探ること。そのようなシンプルなマインドが、HCDの実践で重要だと考えています。