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今年に入って、後期高齢者に入った父、中学生になって部活に明け暮れる息子、そのちょうど中間にいる私の親子三代、それぞれ年齢とともに意欲や行動が大きく変わってしまったと感じることがありました。
まずは私。電車の中でスマホをいじっているとなんか画面が見にくいなぁと。時々だったので最初は疲れと思いましたが、だんだん日常的になり…。普段は眼鏡をかけていますが、あるとき、眼鏡を外して頭にかけてみたところ、「おっ見える!」と同時に「ついに来たか」と結構ショックでした。まだ慣れない「眼鏡のかけ外し」という必要で余計な?行動が日常に組み込まれてしまったという何とも言えない気持ちで、老眼対策の最適解を細々と模索中です。諸先輩方、何かアドバイスいただけると嬉しいです。
次に父ですが、リタイアしてからもPCをよく使い、趣味の釣りの記録や確定申告書類の作成などを自分でしていました。しかしここ数年、足元がおぼつかなく転んでケガすることがあり、釣りもやめてしまいました。外出の機会も減り、今年の確定申告は人任せでした。彼自身、いままで出来たことがなぜか出来なくなったことにショックを受けており、何事も初めから自分には出来ないと決めつけて、あまりやらないようになってしまいました。どうしたものか。
一方、息子は成長期の真っ只中、何かあるごとに「すげぇできた!俺天才かも」と今までと違う自分に驚いているようです。何でもできるという変な自信がこの先ちょっと心配ですが、例えば最近では、コントローラーのボタン数が多いゲーム機で、私が息子に操作方法を教えてもらい、うまく操作できないと息子にイライラされ、私のゲーム離れが始まりました。息子にとっては、多少使いにくい製品サービスでも気にせず、すぐに使いこなせるのでしょう。うらやましい。
ある程度まで年齢を重ねれば、それまでの経験からその人の基本的な行動は大きく変わらないと思っていましたが、上記のような劇的な変化を実体験含めて目の当たりにすると、利用する製品サービスのUIが使い慣れたものであっても、長期的にはその人に合わせて変えていく必要があるのか、逆にユーザーがUIに合わせて行動を変えることに期待しておけばよいのか。日頃の製品サービスのUIデザイン業務では、ガイドラインによるUI仕様の共通化を意識していますが、ユーザーと製品サービスのUIの双方がどうあるとよいのか、改めて考えさせられます。