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よく日本の“おもてなし”はUXだ、とか言われてきているのを耳にしますし、ネットでも”おもてなし”から学ぶUXというタイトルの記事を多く目にする事が出来ます。
そこでふと思ったのです。「ではなぜ日本から画期的なUXサービスや、世界を代表するイノベーティブな製品がないのか?」と。”おもてなし”がUX的にすぐれているのであれば、数々のイノベーティブなモノが日本からもっと、発信されてもおかしくないのだと、過去に長い間思ってきました。
もともと”おもてなし”とUXが紐づくことは、直感的にわかっていましたが、違和感がありました。そんな時にある記事を見たのです。「おもてなしの語源は"表なし"という1つの意味がある。つまり、裏表がないということとされる。その根底に流れているものは古くから存在する、神様への”おもてなし”が儀式として日本の中で続けられてきたことと深い関係がある。目に見えないものに対しても敬意を払い、感謝をする。それは日本人が昔から続けてきた<裏表なく、見えないところでもきちんとする>ということである。」
これを見た時に、何か電光石火のように頭の中に繋がった事を感じたのです。
そうだ、この日本人の「きちんとする」というところが全ての美学であり、悪さをする要素なのだ、とビビッときたのです。本質はいろいろあるにしても、妥協なく何かをやり抜くその「きちん」とした姿勢は"おもてなし"の本質だと思いました。
その素晴らしき精神の"おもてなし"が行き過ぎた結果として「ガラケー」や何十個スイッチがあるかわからない「テレビのリモコン」など「きちんとする」事でかえってUXが下がってしまうモノも多くあることも否めません。
そんな考えがよぎる中、ある日、親類の誕生日が近づき、プレゼントを何にしようかと考えていたところ、「その人が日頃何を必要としていて、どんなことに興味があって、何をプレゼントしたら喜んでくれるのか?」と考えたとき、またビビッときました。
これを考えるには”おもてなし”メソッドが必要なんだと。
方向性が決まった後では、この「きちんとする=おもてなし」の要素はものすごく大事で、その特定の相手に対しては必要十分以上のリソースをつぎ込む事で、絶大な効力を発することができる、と思いました。それはすなわち、”おもてなし”をどのようにUXに用いるか、が分かったという事ですが、まだまだはっきりとした答えはないので、引き続き悶々と向き合っていきたいです。