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コロナとの共生に少しずつ慣れ始め、今年は夏祭りを開催するところが多くありました。また、家の近くの商店街にも人通りが戻り、週末にはイベントが開催されるなど、活気もかなり戻ってきています。私は特に何をするわけではないのですが、そこへ行ってしまう傾向があります。その場を体験しているときの高揚感や解放感、その場をそこにいる皆で共有している感覚は、五感が反応しているというか、本能や野生を刺激されているというか、言葉にすることがとても難しいです。これらを味わうために私は行ってしまいます。リモートワークがスタンダードとなり、仕事の効率は格段に上がっている気がしていますが、この高揚感や共有感、そして偶然性などを感じることは、格段に少なくなっている気がします。
突然話は変わりますが、モノづくりの流れをとってもざっくり、私の理解の範疇で振り返ってみたいと思います。産業革命以降、大量にモノを作って、大量に安く消費することが当たり前になってくると、見た目のデザインというものが売上を左右するようになりました。それらが世の中を埋め尽くし飽和状態となり、モノの使いやすさが競争力になりました。さらに時代が進むと、見た目のデザインや使いやすさは当たり前の条件になり、モノを使う前後を含めた体験のデザインというものが重要視されるように。そこから、モノの背景やストーリーなどのコトづくりも加わる。今では、地球環境や人間以外の生物を考慮したデザインまで求められるようになりました。このように、時代が進むにつれて、デザインに求められることは多種多様に変化または増加しているし、これからもそうなっていくのだろうと思います。
でも、これまでもこれからも、いつの時代も変わらず必要になっているのは、冒頭で話したような感覚から湧き出る喜びや興奮などの、心を動かす=感動させる要素なのだと思います。想定外のことが起こり感動する場合もあれば、想定通りにいって感動する場合もある。この人間的な要素は、テクノロジーが進化したどんな時代でも大切になっていくと思います。お祭りやイベントに行った時以外でも、ドラマや映画を観た時、本を読んだ時、アートを観ている時、旅行をしている時、いつもの休日、美味しいものを食べている時、家族といる時、仲間といる時など、日常・非日常のなんか良いな、という感覚を日々心に刻み、モノづくりに組み込めるようになっていければと思っています。