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本コラムは「不適切にもほどがある?」というドラマの最終回の前に書いています。クドカン(宮藤官九郎氏)の脚本で毎週、楽しみにしていたドラマでした。初回のネタバレがありますので、これから観る人はご注意ください。
ドラマは1986年(昭和61年)と2024年(令和6年)をタイムマシンで行き来する「意識の低い系タイムスリップコメディ」と謳っています。1986年は私にとって、大学院を修了し上京、IBMに入社した年ですので、鮮明に覚えています。当時IBMの研究所でもまだオフィスの自席でタバコを吸うことができました。主演の阿部サダヲが昭和のおじさん:小川市郎(中学の体育教師)を演じ、現代の価値観に疑問を投げかけるシーンが印象的です。初回に、現代に来たばかりの小川先生が居酒屋で一人で飲んでいる隣で、誠実そうなサラリーマンが後輩の女性にパワハラで訴えられ、何が悪かったかを数名で振り返るシーンがありました。1.プレゼン前に「期待しているからがんばってね」の応援の声掛けがNG、2.スマホの入力が早いのをみて「早いな、さすがZ世代」の一言がNG、BBQ等でよく気がつくので「あなたをお嫁さんにする男性は幸せだね」は本人だけでなく周りの人も不快にするということでNG。それでどうすればよかったかという問いに対して、「何も言わなければよかったのです」という回答に、隣で聞いていた小川先生が激昂します。極端な例ではありますが、多様性の時代、人それぞれの価値観を大切にと称して行動していることが、昭和の人からは違和感があると描かれています。このあとパワハラを訴えた女性が現れて「叱られたかった」、「かまってほしかった」ことがわかり、きちんと話し合うことが必要というメッセージで第1話は終えます。
この番組は昭和世代には絶大な人気だそうですが、平成/令和世代には黒歴史?をみるような面白さの感覚が異なるそうです。また劇中の昭和は空想の世界、実話ではないと感じている人も少なくないとのことです。私自身も子どものころ、昭和の前の大正や明治時代は昭和とは全く異なる世界と感じていたことを思い出しました。私自身は約40年前の時代をつい最近のように思い出すことができ、すぐに強く共感できます。体験しているからですね。ただ、普段は忘れていることもたくさんあることに気づかされました。コンプライアンスが大切なのは当然ですが、クドカンの言葉(番組のWebサイトから引用)には説得力があります。「不適切に不適切を塗り重ねて生きてきた世代にとって、日々アップデートを強いられる令和はなかなか生きづらい。「昔は良かった」なんて口が裂けても言いたくない。昭和もそこそこ生きづらかったし、戻りたいとは思わないけど、あの頃の価値観を「古い」の一言で全否定されるのは癪なんです。だって楽しいこともあったし、大人が自由で元気だったし、若者は携帯電話を使わずに友達と待ち合わせできてたし、(中略)そんな瑞々しく甘酸っぱい記憶を無かったことにはしたくないし、「知らねーし」の一言で片付けてほしくない。だからこんなドラマを考えました。」
番宣のようなコラムになりましたが、私はひとり一人の価値観を大切にする現代の考え方が大好きでHCD/UXデザインの仕事をしています。悪気の無い「不適切」な発言は誰にでもあります。それらもほどほどに許容する社会であって欲しいです。大事なことは、不適切だったことに気づいて、自分でアップデートしていくことだと、この番組を通してあらためて考えています。最終回へ向けての展開も楽しみです。