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人間中心設計の専門家として調査やモデル化を行う過程で無意識にバイアスを持ち込んでしまっているかもしれません。
基本として、調査から得たファクトをもとに行う必要性は理解していても、短時間のクライアントワークの中でつい、バイアスによる仮説に引っ張られてしまうことがあると感じます。(その時はファクトに基づいているつもりでも、プロジェクトが終わってから気づくことも…)
私たちは自己が抱くバイアスに気づくことは難しく、自分たちの視点や経験を「一般的」または「正常」だと誤って思い込むことがあります。
それゆえ、人間中心に物事を考える専門家として、常日頃から他人はわからない。という多様性の観点が必要であると思います。
私自身、大阪出身の両親のもとで横浜で育ち、その体験から学んだことがあります。ある時、母親の「お風呂洗っといて〜」という関西弁が、標準語で育った子供たちにとって命令の様に聞こえてしまい、モヤっとする事案がありました。
母としてはほんの気軽な依頼であり、押し付けるつもりなど毛頭なかったようで、なぜ子どもたちとの会話に認識のズレが生まれたのか大変驚くとともに悲しんでいました。
たとえ同じ家族、一番接する時間の多かったであろう母親との間でも、背景の違いにより認識の齟齬が生じることに気づいたきっかけとなりました。
同じ街、同じ会社、同じ仕事と日々忙しいようで同属の組織に身を置いていると、世界がそれだけであるかのように感じてしまうこともあります。
日本は同じ民族が周りに多いため、行間を読む、空気を読むといったハイコンテキストなコミュニケーションが存在し、それがバイアスの存在を大きくする原因となっています。
しかし、同じ日本の同じ地域でも沿線や道を挟むだけで街の風景や人々の様子は大きく変わります。
日頃から「伝わるだろう」「知ってるだろう」といった想定をせず、多様性を意識したコミュニケーションが重要だと考えます。
「あれが」と省略したくなる気持ちを抑えて、「◯◯について」と主語を明確にするなどテレワークが当たり前となった今、スムースに仕事を進めるためのビジネスマンの基礎スキルと言っても過言でないとも思います。
そんな2023年の振り返りでした。
帰省の際は、真っ先にお風呂場に向かい洗っておこうと思います。母から言われる前に。