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ショートコラム Vol.123
弥生時代に製作・使用されていた出土品に「銅鐸」という釣鐘型の青銅器の道具があります。私が中学1年になったばかりの頃、美術の先生がこの銅鐸の写真を持ってきて次のようなことを言いました。---
・これは銅鐸と呼ばれるものでその形状からおそらく楽器だったと考えられているものの、未だ用途がはっきりしていないこと
・これからこの銅鐸について、楽器以外の使い方を考えてそのシーンや説明をイラスト・図で描くこと
「なぜ/なんのために考えるのか?」「本当は何のための道具なのか?」というような質問が多くの同級生から出たものの、その先生はそれ以上説明不可能だしとにかくたくさん考えてひたすら書け、と言うのみでした。そのときはなぜそれが美術に関係あるのかよくわからなかったのと、”自分でも答えのわからないもの”を先生という立場の人間が題材にするということ自体がそれまでの自身の経験になく、どう考えて何をしたらよいのかわからずとても混乱した覚えがあります。
結局どんなものを描いたのかは全く覚えていないのですが、自分には記憶に残る体験として以降ときどき思い出して今に至っています。思うに中学生なりに、それまで自分では考えたことのないような”ものの見方”があるということ、そしてそれを考えてみることの大切さに触れられた感じがしたからなのでしょう(それをきっかけにデザインへ興味をもったわけでもないのですが)。「人/道具(人工物)/目標の関係を考え、デザインする」という今の仕事に偶然つながる体験だったわけですが、最近仕事の関係で中学生や高校生から話を聞く機会が多くこのときのことをまた思い出した次第です。
追記:本文と無関係ですが「静電気付箋紙」お奨めです。粘着タイプと違い、移動させたいときに剥がさずすっと動かして自由に再配置できるので「並び替え」に対する心理的負荷が下がるところがお奨めポイント。某100円ショップでも売っています。詳しくはGoogle先生に。