更新日:
当初、シーズ志向のアプローチをとっていたモノ作りが、それだけではユーザに満足を与えられず、また人間が含まれているシステムを円滑に効果的に動かすこともできない、と気が付くようになって、人間に関する知見を利用しようとする傾向が生まれてきた。
まず、人間に関する研究をしてきた人間工学や認知工学の中から、特にIT(Information Technology)を対象とした取り組みが生まれてきた。考え方の流れとしてはニーズ指向の流れと符合するものであるが、単に直感的な主張を行うだけでなく、マーケットリサーチなどの既存の手法に対して具体的な対案を提示したところに、これらの新しい動向の意義があったといえる。
イギリスでは、1980年代に情報技術に対する人間工学(ITE: Information Technology Ergonomics)という領域が生まれてきた。これはShackel(1985)が提唱したもので、製品開発に際してユーザ、作業活動、機器、環境 (社会的・物理的)という四つの要素を人間工学の知識を応用して行おうとするものである。人間工学という研究領域の考え方には時代的な変遷があり、古典的な見方では人間の身体的生理的特性と機器、特にハードウェアとの適合性を考えるという研究が主体であった。しかし情報機器の普及にともない、それだけでは十分でないことが認識され、認知工学の知見なども取り入れ、さらに活動の行われる社会的環境にまで目を向けるという視野の広い見方が必要とされるようになった。
イギリスでは、ITEが確立される10年ほど前の1970年に、ラフボロー(Loughborough)工科大学にITEに特化した研究所として HUSAT(Human Sciences and Advanced Technology)が設立された。イギリスにおけるITEの流れは実質的にここに始まったといってよい。ラフボロー工科大学には、消費者の立場から製品の研究を行う機関としてICE(Institute of Consumer Ergonomics)も設立された。
1980年代で特筆すべきなのは、ESPRIT(European Strategic Programme for Research Information Technology)プロジェクトの開始だろう。これは1983年にスタートしたITに関するプロジェクトであり、ITEやユーザビリティに関連する ISO規格のもとになった多数のプロジェクトがESPRITのもとで行われた。たとえば1985年には、ソフトウェア開発におけるユーザインタフェースに焦点をあてたHUFIT(Human Factors in Information Technology)が事務処理ソフトウェアシステムに対する人間工学的な検討を行った。また、ESPRITの後継プロジェクトとして1990年からスタートしたMUSiC(Measuring Usability in Context)では、ユーザビリティに関連した各種の測定法が提案された。1996年にスタートしたINUSE(Information Engineering Usability Support Centres)というプロジェクトではSERCOという研究機関を中心にして、ユーザビリティに関する国際協調ネットワークが構築された。同じ年にスタートしたRESPECT(Requirements Engineering and Specification)は要求仕様の定義方法についての成果をまとめた。また1985にはShackelによるITEに関する国際的連携組織である SPRITE(Strategic Programme for Information Technology Ergonomics)が欧州におけるITE関連研究についての調査を行った。このように欧州では英国を中心にして、人間工学を基盤とした情報技術への取り組みが1980年代から活発に行われてきた。これらは後述するISO9241-11やISO13407によって、人間中心設計という概念の規格化として結実した。
一方、アメリカにおいてはNorman(1986)がユーザ中心設計(user centered design)という考え方を提唱した。この考え方は、後年、The Design of Everyday Thingsという有名な著書によって一般に知られるところとなったが、利用者の立場にたって製品を設計すべきであるという考え方が強く訴求されている。この考え方は人間工学を背景としたイギリスの人間中心設計とはいささか異なり、認知心理学を背景とした認知工学(cognitive engineering)の立場から、利用に際してのわかりにくさを排除しようという点に中心が置かれている。時代的に、パーソナルコンピュータの利用が盛んになり一般ユーザも利用するようになって、その難しさが問題として認識されるようになったことがその契機となっているといえよう。ただし、アメリカにおいてはイギリスのような組織的プロジェクトとしてではなく、個人的な活動として推進された点が異なっている。
この他に、人間中心設計に関連した動きとして参加型デザイン(participatory design)の動きを忘れることはできない。Schuler and Namioka (1993)にその活動や方法論が紹介されているが、当初はスカンジナビア諸国を中心に、設計プロセスにユーザを参加させる動きとして開始された。たとえば、企業にITシステムを導入するときに、通常であればその企業のIT部門の担当者がIT企業の担当者と打合わせをして、システムの設計を行ってゆくが、参加型デザインの場合には、従業員の代表として組合メンバーが参加し、そのシステムが従業員にとってもユーザビリティの高いものになるように意見を述べてゆく、という形の活動のことである。プロダクトのデザインにおいては、実際にプロトタイプをユーザに作らせたり、そのスケッチを描かせたり、あるいはそのシナリオを書かせたりすることもある。もちろん、その作業は設計者やデザイナと共同作業の形で行われ、要求があれば専門の設計者やデザイナがさらにデザインを調整したりする。この考え方は、後に日本にも導入され、現在は主に地域おこしや街作りという活動における住民参加という形で定着している。もちろん、製造業などにおける機器やシステムの開発において、ユーザの調査を行ったり、ユーザビリティテストを行ったりする形でユーザの参加を求めることも、広義の参加型デザインに含めて考えることができる。