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私は、Facebookがかなり好きである。Facebookのおかげで中学や高校時代の友人に何十年ぶりに出会うことができ、友人が頑張っているのに励まされ、HCDや仕事に役立つイベント情報も流れてくるしと、他にないメディアとして重宝している。ところが、ある友人に言わせると、Facebookは全く面白くないそうである。聞いてみると、友達の数は大体同じであるにも関わらず、友達のプライベートな投稿があまりなく、ニュースなど公式メディアで得られる記事で埋まっているという。当たり前だが、ソーシャル・ネットワーキングというのは、そのソーシャルの中身(友人だったり発言だったり)で全く違うものになり、面白いとか面白くないとかは、ある側面から見ていてもわからないのだと気が付いた。
少し話は変わるが、「生産消費者(プロシューマ)」という言葉がある。生産活動を行う消費者のことで、消費者が商品の開発や改良を提案する状況を表現している。たとえば、オリンパスの「OPC Hack & Make Project」は、カメラのソフトウェアやハードウェアの技術情報を公開して、ユーザーを巻き込んで自分たちだけでは生み出せない価値を創造していくオーブンイノベーションの取り組み(2015年度グッドデザイン賞サイトより)である。これは、プロシューマを取り入れた典型的な活動といえるだろう。また、たとえば、GoProのように、ユーザーが面白い使い方を動画サイトにアップして、それを見たユーザーがさらに面白い使い方を考える、というように、ソーシャルによって製品の使われ方が育っていくというのも、ある意味プロシューマを取り入れた活動といえるだろう。
これらは、製品を未完成な状態で世の中へ出し、社会の力で育てていく流れといえる。しかし、先ほどのFacebookの例にもあるが、社会とはその中身によって全く違うものであり、使われ方のみならず仕様も社会の流れに任せるというのは、私のようなメーカーに勤めているものからすると、非常に不安定な感じを覚える。また、利用シーンを想定して気持ちや操作性を評価することを行ってきたHCDの専門家としても課題を感じている。「ユーザー」参加型のデザインだったものを、製品そのものが育ち使い方も変わっていく環境に合わせた「ソーシャル」なデザインに変えていく必要性がある。想定するステークホルダーを増やして調査をかけたり、アジャイルで早く作って評価したり等で解決できるかもしれないが、まだ正解がよくわからない。「ユーザー」が「ソーシャル」に変わっていったときに、HCDの専門家がどのように製品・サービスの企画や開発や評価に関わっていくのかを、少しずつ考えていく必要があると思っている。