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どうして自動車には速度超過防止装置がついていないのか(長谷川 敦士)
(HCD-Net ニュースレター 2014年1月号 - Vol.91)
ローレンス・レッシグは、書籍「CODE」の中で、現在抜け穴だらけの「建前」の制度は、将来的にはコードの形でアプリケーションに埋め込まれ、意図的な例外を除いて原則取り締まられる未来を指摘した。わかりやすく言えば、PCの中で、大きな黒丸の右上と左上に小さな黒丸を描けば、常駐している著作権侵害監視ソフトが自動的にディズニーに報告を行う状況が我々が向かっている未来であ るということだ。彼はそこに「部分的に利用を許容する」という意図的な例外を作るために、クリエイティブコモンズ(CC)という制度をデザインした。当然ながらCCには、人がそれを識別するためのロゴマーク、既存の法制度と対応させるための文章に加えて、マシンリーダブルなソースが付属している。そしてこれこそが、CODE時代に体験をデザインする行為となる。「もののインターネット(Internet of Things)」によってこの動き、つまりアーキテクチャレベルからのデザインの必然性、は加速するだろう。
表題とした自動車の速度超過防止装置は、メーカーからの回答では「緊急時の危険回避のため」が常套句となっている。この論で押し通そうとするのであれば、正統な危険回避であればそれはログを残しておくべきものであろうし、それ以外の速度超過も含めて自動的に通報されてしかるべきだろう。 そしてそれは実現可能となりつつある。
人は、前提としている制度自体に加えて、その制度をどう受けとめているという感覚によって行動を変える。これは、ある意味「北風と太陽」の寓話を思い起こさせる。 人の体験のデザインには、表面的なデザインだけでなく、こういったアーキテクチャレベルのデザインが必要とされる。これはHCDに関わるすべての人が意識しなければならない視点となるだろう。
デザイン思考とシステム思考(山岡 俊樹氏)
(HCD-Net ニュースレター 2014年2月号 - Vol.92)
デザインが最近注目され,デザイン思考やそのバリエーションの書籍が発行され デザイン系の人間として,うれしい限りである.技術主導型の製品開発に限界が あり,デザイン思考が注目されているのだろう.しかし,この流行しているデザイン思考は,デザイン経験のある筆者にとって,それほど目新しい方法ではない.35年前には,ペルソナもどきを使って製品開発(照明器具他)を行ったし, そのプロセスは学生時代にゼミで翻訳して勉強したクリストファー・ジョーンズ の提唱した分析―総合―評価の流れとそれほど相違があるわけではない.
IDEOの社長が書いたデザイン思考の本を読む限り,その方法は厳密に規定されている訳ではないようだ.だから一見扱いやすいように見えるが,使いこなすには かなりの幅広い知識とセンスが必要と思われる.この逆の方法が,私が定義するシステム思考で,方法がある程度厳密に決まっている.言ってみれば,算数の鶴 亀算がデザイン思考で,数学の方程式がシステム思考とも考えられないだろう か?中学1年のときに図書委員を拝命し,先生から学校新聞に掲載する原稿を書けと言われて非常に困惑した覚えがある.先生から思ったまま書けと言われた が,それまで,文章の書き方を本格的に習ったことがないので,どうやって書くのかさっぱり分からなかった.三島由紀夫のように小さい時から漢文や多量の本 を読み込んだ学生ならば容易で,書き方など不要だろうが,小学生時代に創作の 模型作りに夢中になっていた身としては,困難な作業であった.本格的に文章の 書き方を学んだのは,ベストセラーになった木下是雄著,理科系の作文技術であり,つくづくフレームワークによる学習の必要性を感じた.企業にいた頃,製品 開発でも同様のことを感じた.ユーザーのことを考えて製品開発,デザインをせよと上司から言われたが,その本人も具体的な詳細な方法を知らないという有様 であった.幅広い知識があり,センスのある人ならば,その都度フレームワーク を変えて,製品開発やデザインなどは簡単なのだろうが,こういう人は少数だろ う.著者のような平凡な人間にとって,小学生時代に鶴亀算はよく分からなかっ たが,中学で方程式を習い感動した記憶がある.さらに言えば,人間工学で安全 設計のための考え方として,インターロック設計というのがある.ある手順通り 行わないと操作ができないという安全設計の考え方であるが,センスのある優秀 なデザイナーやエンジニアならば,このような専門知識がなくとも,幅広い知識 に基づき思考のフレームワークを作り,危険だから2つのボタンを作り順番に操 作をさせるというアイディアが出るだろう(これを直観という).しかし,そう でない筆者にとって,インターロックという知識のフレームワークを使えば,すぐそのソリューションを出すことは可能である.
まとめると,デザイン思考は扱いやすいが,どうも属人的な方法であり,幅広い 知識やセンスがないと使いこなせない方法のように思える.また,人間―機械系 において,主に人間側に焦点を当てた手法である.従って,人間との絡みが強い雑貨や家電のレベルでは,有効な発想方法であるが,複雑なシステムの場合は難しいように思える.一方,システム思考はその言葉通り人間―機械系をシステム として捉えているのが特徴である.方程式や理解系の作文技術の本のように面倒 で扱いづらいが,そのフレームワーク,つまりシステム思考を学んでしまえば, 複雑なシステムに対して,比較的簡単にそのソリューションを創出することができると思う.システム思考における創造性は,制約条件他を事前に明確にするの で,この範囲内で自由に発想すればよい.発想を重視する場合は,その制約条件 を変えて,意味のない発散をすることなく,効率よく発想することができる.最 大の欠点は理屈っぽく,取っ付き難いことであるが,食わず嫌いの評価ではないかと思う.あるいは,両者を統合して,最初はシステム思考でやり方をマスター すれば,あとはデザイン思考により直観でデザインを行うことができるだろう.
どちらが良いか悪いかではなく,両者とも良い点,悪い点(限界)があるので,その特性を見極めればよいと思う.
映画づくりとHCD(和井田 理科氏)
(HCD-Net ニュースレター 2014年3月号 - Vol.93)
昨年、私はニュージーランドに旅行に行ってきました。目的は映画「ロード・ オブ・ザ・リング」のロケ地めぐりです。原作はトールキンの小説「指輪物 語」、文庫本で10巻くらいの長編です。映画三部作は2001年から2003年にかけて公開され、その後、前日談にあたる児童文学「ホビット」も映画化され、今、「ホビット」三部作の2作目が全国で上映中です。感動のユーザー体験を計画す るということに於いては、映画などのエンターテイメントはその道の玄人なわけ です。そこで、改めて考えてみました。
私はピーター・ジャクソン監督のあの映画の大ファンです。映画の1作目を見てからトールキンの原作や関連本を読みまくって、今では結構な指輪マニアです。DVDについてくるメイキング映像なども見まくりました。私は映画作りについては全くの門外漢なのですが、メイキングを見ていてなるほどと思いました。 シナリオがあって、コンセプトアートがあって、スケッチやプロトタイプでどの ような造形にするか検討し…、とやっていることはモノづくりと同じなんです。
コンセプトアート担当者もロケ地探しに同行し、そこでスケッチします。現場 観察です。脚本はあるのですが、何度も練り直され、時にはリハーサル後に改訂される場合もあります。繰り返し設計です。
映画を見る人の認知的な側面も考慮されています。例えば、映画の冒頭にこの 世界「中つ国」の地図が出てきます。主人公はふるさとの村から東の山へ向かいます。映画の画面では、一行は向かって左から右へ動いていきます。分岐点から は主人公は南南東へ、分かれた仲間は西へ向かいます。すると主人公は横の動きより画面前後の移動風景が増え、分かれた仲間は画面右から左へ走っていきま す。すなわち、観客の頭の中の地図の方向に合致するように移動しているので す。それによって、見ている側は入り組んだ物語の中でも別離と旅程を把握しやすくなっています。ただ、ユーザー=一般の人に見せて検証するというプロセス は入っていません。何故?
メイキングを見る限り、映画の表現にかかわる全てはピーター・ジャクソン監 督が判断しています。監督がモノサシ。彼は「指輪物語」の世界を見たいと渇望し、実際に活動を始めたエクストリーム・ユーザーとも言えます。そして、おそらく監督はユーザーの立場と設計者の立場を自分の中で切り分けられる人なので はないかと(凡人はなかなか切り分けられません)。映画は興行的に成功し、 2003年にはアカデミー賞で作品賞を始め11部門で受賞もしています。エクスト リームでない人たちにも評価されたということになります。ひとりの為を突き詰 めるとみんながついてくる、というペルソナの基本のような展開かと…。
“感動と安心”(弊社企業ビジョン)を掲げるからには、これくらいの突き詰めた ことをやりたいなと思う今日この頃です。
ユニバーサルデザインを考える(岡田 明氏)
(HCD-Net ニュースレター 2014年4月号 - Vol.94)
優れたHCDは様々な切り口から捉えることができる.そのひとつとして,ここ では“ユニバーサルデザイン”(以下UD)の観点からそれを捉えてみよう.その前提として,何をUDと呼ぶのかを明らかにすることから始めたい.今更ながらと思 ¥う読者も少なくないはずだが,UDについては未だ誤解も多いためである.
その誤解のひとつは、UDが高齢者・障がい者のためのデザインと同じであると する見方である.日本人間工学会(編)ユニバーサルデザイン実践ガイドライン (2003年)によれば,“多様なニーズを持つユーザーに,公平に満足を提供できる”ことを目指したデザインとして定義されている。その中に高齢者や障がい者 という言葉は一言も含まれていない.代わりに,年齢や心身機能,言葉や文化を 越えて様々な要求を持つ人々が利用できるという意味で“多様なニーズを持つ ユーザー”という言葉が使われている。もちろん,高齢者や障がいのある人々は UDの主な対象にはなるが,UDユーザーの一部にすぎない。
また“誰でも使える”ではなく“公平に満足を提供できる”という文言が用いられて いる.これが実はUD思想の核心部分でもある.たとえば,最近の競技場や劇場に は車イスを使う人も観戦や鑑賞ができるように車イス専用ブースが設けられるようになった。しかし、これは本当の意味でのUDとは言えない。
その一方で,アメリカのある競技場では一般席の一部の座席を跳ね上げることにより車イスがアプ ローチできる設備が備えられている.これはUDの競技場施設として高く評価された。どこが違うだろうか。それは,車イスを使う人と使わない人が一緒にやって 来たとしても、前者の場合は仲間同士で感動を分かち合うことができないばかり か,特別扱いされてしまうからである。すなわち単に使えればよいということで はなく,ためらいなく使えることがUDにとって最重要事項になる。
しかし,現実にはひとつのモノで全ての人々を満足させる,そんなモノをつくることは不可能に近い.だからUDは存在しないという考えもあるが,そうではない.何らかの配慮が必要なユーザーには別の選択肢を用意することにより、ひとつのモノではなくひとつのシステムとしてUDであれば良い.ただし,その選択肢 が特別扱いやためらいを生じさせるものであれば上記の公平な満足を提供できな いことになり,その設定は一筋縄ではいかないかもしれない.いずれにしても, システムとして様々な人々に満足を提供できることがUDの基本であり,それは HCDそのものであると言うこともできる.そうした観点から優れたHCDを考えてみることも必要かもしれない。
最後に,究極のUDとは何かを紹介したい.それは,それがUDであるということを意識させないモノである.実際にその様なモノが存在するかは別として,そのひとつのヒントがメガネという道具にある.本来,近眼は目の障害であるため, 程度の差こそあれ近眼の人は障がい者、それを補正するメガネは福祉機器と呼んでもおかしくないはずである.しかし誰もそう思わないのは,それが生活に支障 ないまでに視力を回復させ,少なくとも日本の社会では近眼の人の方がはるかに 多数派だからである。さらに、紫外線除けやおしゃれなど別の目的でも使われるため,結果としてメガネは誰もが抵抗なく使える道具となる。その様なモノが当たり前になり,真のUDが社会に定着した時,“ユニバーサル デザイン”という言葉はこの世から消えてなくなるだろう。
HCDプロセスの、その先にあるもの(八木 大彦氏)
(HCD-Net ニュースレター 2014年5月号 - Vol.95)
HCDプロセスの最後は「システムがユーザーの要求事項を満足」である。この後のことは何も言ってないが、以下の話はこの先のことである。
テレビの番組で、愛媛県内子町の道の駅を紹介していた。この道の駅には近くの農家の直売コーナーがあって、採れたての新鮮な野菜を生産者が直接顧客に 売っていて、このコーナーがとても人気があるそうだ。
生産者が販売コーナーを設置して新鮮な野菜を直接販売している所は他にも たくさんある。この番組で興味を引いたのは生産者が実際の売り場にいて、顧客と話をしながら直接販売していることである。顧客と直接対面することで、今まで に味わえなかった喜びを感じるというのである。生産者曰く「今までは農 協の要 求に合わせて耕作し、農協に納めるだけだった。しかし、このように直 接消費者 に会って、喜んでくれる姿を知ることで大きなやり甲斐を感じ、つら い農作業も 楽しく出来るようになった。」と。
HCDの原点は、顧客(人間)を中心にして、顧客が欲しいと思うもの(サービスを含む)を提供することである。道の駅で野菜を売っていた人は人間中心設計 なんて聞いたことも無いかもしれないが、HCDの基本をやっていたのだ、というよりも、HCDプロセスのさらに先の、ユーザーの望むものを提供した後の、ユー ザーの満足度を確認していたのだ。ユーザーの満足度を知ることで自分も満足し やり甲斐を感じ、次にもっと喜ぶものを作る、というサイクルを回していたので ある。
このように自分が担当したもののユーザー満足度を、ユーザーと対話しながら 実際に確かめる機会を作ることは重要なことである。ユーザーの喜ぶ姿を確認することで開発ステップでの苦労も喜びに変わる。そして次にはもっと喜んでくれ るものを作ろうという意欲につながる。もし、ユーザーに喜んでもらえてなかったら、どこが悪かったのか、直接聞き出して次の改善に結びつけることができる。
24時間・365日のオペレーターサービスを(早川 誠二氏)
(HCD-Net ニュースレター 2014年6月号 - Vol.96)
最近はチケットの予約などは、ほとんどがウェブサイトから行うようになって いることが多い。ただ、私自身は飛行機や宿の予約(時には変更、キャンセル も)を、利用できる時間帯に制限があるにもかかわらず電話ですることがよくあ る。もちろん、時間に余り制限のないウェブサイトを利用しての予約もするのだ が、どちらかというと電話でのオペレーター対応を好む。(自動音声応答で、オ ペレーターに繋がるまでに手順が多いのが玉に瑕だが)
以前出張で良く使ったことのある旅行会社のウェブサイトではまず、飛行機会 社を特定し、時刻表を自分で調べて便名を入力しないと予約できなかった。国内 出張ならまだしも、海外出張になると日にちをまたいだ複雑な時刻表から適切な 便名を特定するのはとても大変だった。当時、指定されたそのシステムを使わ ず、電話一本で対応してくれる旅行代理店をナイショでよく使っていた。いつでも、どこからでもと言う点では、ウェブサイトからの予約のほうが効率 的である。ただ、使っていたウェブサイトのシステムは冗長性がない。正確で、 ある意味厳密な情報を入力しないと正しい予約ができない。サービスを提供して いる側からみるとウェブサイトから顧客が必要な情報を入力してくれた方がもち ろん効率が良いに決まっているが、顧客の立場からするといかがなものか。電話 のオペレーター対応は、コスト面から考えてもある意味最後の砦になっているの が現状ではないだろうか。
私にとっては、融通が利いて、ちょっとした困りごとにもその場で相談に乗っ てくれる電話での24時間・365日ダイレクトに専門のオペレーターに繋がるサー ビスがもっとあって良いと思う。現状では、トラブル対応などで24時間・365日 対応を唱ったサービスもあるが、チケット予約などもっと身近なサービスでもで きないだろうか。